光陰矢の如し
1年が
ひと月が
1週間が
1日が瞬く間に過ぎていきます
写真はちょうど1年前の本社加工場です
主屋吹抜け周りの仮組の写真
写真の10本ほどの柱を建てるのに3日がかりだったことを
今でも昨日のように思い出します。
瀧本です!
鎌倉入りしてから早くも10ヶ月が経ち、ようやく外周りが決まり始めました!
掃き出し窓です
付け柱、付け梁が入りのっぺりしていた壁にハッキリと輪郭が出てきました
蔵にも左官が入りグッと重厚感が増したように思います
まだあと3度も上塗りするそうです!
下見板です
これがなかなか、一筋縄では行かないようで
玄関の持ち送りです
玄関です
応接室です
ササラです
段板です
和室です
広縁です
吹き抜けの卍も塗装が入りました
茶の間です
渡り廊下です
蔵の階段のササラです
最近沼津に帰るといろんな人からブログ読んでるよ!
と声をかけてもらいます。
ありがたいことです!!
そして、もう1つよく言われるのは
「いつが見どころ?」
・・・
「あぁ、いつでも見どころか!」
みなさんT様邸に興味津々
しかし、沼津ー鎌倉の距離はなかなか遠いようで・・・
みなさんなかなか見学に来れないようで・・・
が、しかし、気になるところがあれば、ぜひ一度鎌倉で実物をご覧になってください!
T様邸は刻一刻と変化しています
ではでは
おまけ:削ろう会
年齢公表されてしまいました。
30歳なりたての渡邊です。
遡ること数日前
厳重に梱包された大量のパーツたち
富山県から井波彫りの懸魚が届きました。
早速どんな感じになるかあてがってみます。
足場に上るのは、37歳の博康さんと34歳の平松さんと年上だけど後輩31歳のタッキー。
32歳の原田さんと私は地上から観察。もちろん棟梁小川さんも。
存在感抜群です!
真ん中の穴には六葉が取りつきます。
これ。今回はあてがうだけなので取り付けません。
実際に取り付けるのは、外壁工事が完全終了した後です。
なので2か月後ぐらいでしょうか。お楽しみに。
ちなみに神棚も井波彫り。
ちらっとだけ。大変高価なもので触るのすらおっかないです。
ここ最近の仕事は根太祭り。
前々回にふわっと平松さんに載せられた根太は、
ささっと終われないものでした。
ぼこぼこ隆起している梁を断面欠損にならぬように最低限だけいじめます。
根太のスパンが大きいところには、転ばし根太を敷き補強します。
場所場所レベルが若干違うので欠きこみを変えて真っ平らの面を作っていきました。
やっと根太が転ばせます。
面もバチッと決まりました。これで長い長いぼこぼこの床が平らになりました。
いい感じです。
根太完了すぐさま絶妙のタイミングで床板が搬入されました。
これすべて2階分です。量がやばい。
しかしすぐには貼れません。
電気配線と断熱材を終わらせてからなので、その間は梱包を開け、鎌倉の空気に慣れさせます。
右奥に見える白い塊。。。
カチ盛りの断熱材。2階床分だけでこの量です。
量がやばい。。。
入れるのも一苦戦しそうな気が。。。。
しかし、この作業を終えればいよいよ床貼です!
ということは久しく出てきてないあの秘密兵器の登場です。
皆で際カッターと入隅カッター使ってみての感想が言えたらと思います。
お楽しみに。
夏も過ぎて過ごしやすい日がぼちぼち出てきましたね
夏は好きです、お久しぶりの原田です
今年の夏は沼津の海でサップの大会が初開催されたので同僚達と出てきました
4人乗りのこいつの呼び名は
ドラゴンサップ
結果は並み居る強豪がひしめく20チーム中5位
練習時間数分にしては大健闘でした!!!
そして時は遡る事3か月前、、、ここにもいた
DRAGON!!!
左が南、右が北のササラ桁
階段はササラも段板も全てケヤキを使用します、全て古材のストリップ階段です
ササラに使用されているのは差し鴨居だったようです
この両サイドに2本のササラが付くのです
南の梁から、反りやねじれがあるのでまずは基準の墨を決めます
両木口に木をあてがって睨む
こんなもんかな?このハイテクな時代においてなんてアナログなんだろう
と思ったのは私だけではないはず
ここで全てが決まってしまうと言っても過言ではないので慎重に見極めます
確認のために型板を作ります
色々と取り合うので結構正確に作りましょう
写真だと短く見えてましたが5m近くにあります、、、長い、、、
これに段板の型板を付けて当てがってみます
下の方は絡みが少なく逃げ場所が多いようだ
上の方は、、、
通し柱に刺さり→2階床梁→差し梁→柱、、、
目を背けたくなる現実がそこにはあった
南の全体像はこんな感じ
北のササラも入れてみて
こうなる予定
イメージできたら本番行きます
ちなみに型板はあくまでバランスを見るためなのでこのまま写すことはできないのであった
必要な墨だけ付け、いざ!!!!!!!!
100キロ以上ありますからね、手じゃ上がりません
形を梁と柱に写します
2階床梁(熱中して途中撮るのを忘れました)
2階床梁は栗の木でとっても堅くノミが悲鳴を上げてました
すぐさま差し梁へ
空中の長時間丸鋸には二の腕の引き締め効果があるようです、だいぶプルプルします
綺麗にしたら完成
基準墨をレーザーで立ち上げ
深さを確認
かんなで微調整して真っ直ぐになったら完成
ササラの曲がっている部分との取り合いは綺麗なアーチ
上手く入ってくれるかドキドキします
次に柱ですが、側面に達筆な文字が
明治40年に使われた柱をありがたく刻ませて頂きました
一番下はホゾを作って
土台はホゾ穴を掘ります
そして今回一番大変だったのが
この一際深い欠き込み、これは柱との取り合い部の加工ですが
ササラを横から見ると
真ん中が盛り上がっているのがわかりますかね?
実は両端から20ミリも反っています
このまま付けると納まらない場所が出てきます
そして小川さんから恐怖の一言が、、、
『真ん中の柱で突っ張って真っ直ぐになんないかな?』
・
・・
・・・
・・・・
・・・・・
(正気ですか)と心の中で言いました。すいません
ただ厚さが80ミリ、幅が400ミリ以上、おまけにケヤキです
みんな思うと思います
ただ納めるためには曲げなくてはいけないのも事実なのである
なのでギリギリまでササラをいじめさせてもらいました
ただこれで曲がるかどうかは全くわかりませんでした
ちなみに人が1人乗ったくらいでは微動だにしなかった
そんなこんなで加工が全て終わったのではめてみることに
最上部、通し柱にドン
栗の2階床梁にドン
差し梁にドン
明治40年柱にドン
そして
入りました!!!!!
問題はここから
そう、ササラが曲がって真っ直ぐになっているのか?
真っ直ぐになりました(喜)
こうして南のドラゴンを1週間かかって討伐、、、
普段の階段なら2つは既にできている、、、
こちらはまだ北のササラと段板が残っている状況、、、
長くなったので北のササラは次回です
次はこの特大な象梁、通称『マンモス』が相手です
~~~今週の平松さんのコーナー~~~
このくぼみが腰にベストフィットするんだよと車でお昼寝がブーム
暑くないのに朝一で送風機に当たるという発想
おしまい
こんにちは 平松です。
暑いんだか寒いんだかよくわからない日が続きますね。
現場で働く身としては、今年は猛暑が少なくてとても助かります。
今週はタッキーが加工しに帰省しているので、色々な所でトラブルが起きています笑
そんな中、今日九月七日は唯希君の30歳の誕生日でした。
ついにこの現場から二十代がいなくなってしまった・・・
人生の90パーセントは三十代で決まるなんて言われることもありますが、この経験をどう活かしていくのか。
とりあえず自分は米を炊けるようになれて良かった笑
さて、現場の方は外の仕事にひと段落つけて、二階の床下地になる根太組みが始まりました。
雲海から飛び出た山のように見えた梁も、全て無事に床の下に納まってくれました。
根太が終わるとすぐに、1階の天井と根太の隙間に配線、配管工事が始まりました。
この現場では、碍子(がいし)引き工事もあります。
碍子引きとは、昭和38年頃まで使われていた配線方法です。白い陶器製の物が碍子(がいし)と呼ばれるものです。
築年数が経ったリフォームの現場で数回見たことがありますが、新築では初めてです。今後どのように配線されていくのか、様子を見られることがとても楽しみです。
ガラスも入り、取手、鍵も真鍮製の見たことない物が取り付けられています。
敷居の辷り(すべり)にも真鍮が使われる予定です。今までで真鍮をこのように使う現場に出会ったことがなく、とても新鮮でカッコ良いと思います!
原田君は仕事の膨大さに少々お疲れのようなので、気が向いたらブログを書いてくれるそうです笑
卍もきれいに塗装され、迫力が増したような気がします。
卍といえば、待ちに待った「あれ」が出来ました!
彫金の世界では有名な方のようですが、とてもこだわって本気でやってもらえました。
何ヶ月もかかりましたが、色々と試行錯誤して頂き通うたびに少しずつ進んでいくのが楽しみになりました。
いい買い物したなと思っています。
黒染め液を買ったのですが、せっかくのが目立たなくなってしまうから使うかどうか迷ってます。
とりあえず専用の入れ物作ろうと思います!
こんにちは、大工工事部四課の石川です。
お盆休みも終わり、徐々に秋を思わせる日が増えてきましたね。
休みで鈍った体もそろそろ慣れてきた頃ではないでしょうか。
今年は、お盆休みを利用して、高知県へ行ってきました。
休み明けに蔵の「鬼瓦」を取り付けると聞いていたので、高知城の鬼瓦をパシャリ!
鎌倉の現場が始まってからというもの、このような古い建築物を見ると、昔の人は機械やクレーンもないのにどうやって建てたんだろうとつくづく思います。
さて、鎌倉に戻ります。
休み明け、四月から蔵の鬼瓦を残して現場を空けていた瓦屋さんが戻ってきました。
ん!!
トラックの荷台に積んであるのは…
鬼瓦!!
ものすごい迫力ですね。
高知城のと比べると2倍近くの大きさはあります。
鬼の表情をよく見ると、阿吽(あうん)の表情になっています。
陽を意味する「阿形」と、陰を意味する「吽形」。
据え付ける向きなど諸説ありますが、鎌倉の現場では正面に「阿形」がくるようにしました。
据え付ける前に、バランスを確認して、
ドーン!!
一日も経たないうちに据え付け完了していました。
鬼瓦の側面をよく見てみると、何やら文字が見えますよね。
何だかわかりますか?
これは、「へら書き」と言って、瓦を焼く前に、竹のへらを使って、建築した年や建主、設計士、棟梁の名前などを記録するものです。
何百年にわたって、名前が残ると思うと、誇らしいですね。
写真だとわかりづらいですが、下から見上げても、この存在感は凄いです。
瓦工事も無事に終わり、蔵の外部も順調に進んできました。
裏の入り口ではシンヤさんが古建具を取り付けていました。
内部も本屋同様、二階の床組みが進んでいます。
そろそろ蔵でも階段も始まる予定です。
まだまだ仕事は盛りだくさんですが、頑張ります。
おまけ
高知県の「鰹の塩タタキ」
美味しかったー!